こちら葛飾区水元公園前通信841

tenshinokuma2016-03-25

 こんにちは。
 えーと、今年の花見ですが、まだ決めていません。
 というか、2日でも3日でもいいですし、どっちもうちにいますので、どうぞ、というところです。

 花見は、もう、桜の都合ですからねえ。

 会社員に復帰して、もうすぐ3カ月になります。
 まあ、精神的には、フリーランスのが楽だなあ、とは思います。でも、収入面では会社員の方がずっといいので。ここは微妙ですが、子供たちにお金がかかるので。しょうがないですね。

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「あまたの星、宝冠のごとく」を読みました。あらためて思ったのは、ティプトリーにとって、老いというのがどういったものであったのかということ。
 人間は老いてもなお、いろいろなことで生産的な活動ができます。でも、生物としてどうなのか。このことが、“そもそも生殖を行うことができなくなった個体に生物的意味があるのか”という話につながります。もちろん、人間だからこそ、高齢者の知恵のリレーがある、ということはできるのですが、同時に、人間はどうしようもなく生物なのです。
 ティプトリーは、そのいくつかの作品において、セックス/ジェンダーを生物学的に考えてみる、ということをしてきました。どんなに男女が平等であったとしても、生物としての機能はちがいます。そこを常に問いなおしてきました。
 同じことを、老いということでも問いなおしている、というのが、晩年の作品なのだと思います。
 そして、生物として機能しないのであれば、死ぬという選択もあるのではないか。実は、「たったひとつの冴えたやり方」という作品もまた、そういった意味で、老いがテーマだったのではないか、と思いました。

 ティプトリーが生物学的にセックス./ジェンダーを問うSFを書いていたのだとすれば、同じテーマと文化人類学の視点から問うてきたのは、アーシュラ・K・ル=グゥインです。
「世界の誕生日」には、文化的な背景をともなった社会的性差についてとりあげた作品が収録されています。
 ティプトリーにとって、セックスがテーマであったように、ル=グゥインはジェンダーをテーマにしています。それがどういうものかは、読んでくださいと言っておきます。
 もっとも、正直なことを言えば、「世界の誕生日」の作品は、理念先行というところがあると思いました。それはそうなんだけど、でも、読んでそこまで面白いか、ということです。
 同じ時期の作品として、「西の果て三部作」の方がずっと面白いとは、思います。まあ、SFとしてどこまで楽しめるのか、読者の感性もあるのでしょうが。
 この短編集の最後に収録されているのは、世代宇宙船をテーマにした「失われた楽園」という、比較的長い作品。SFからフォークロアの香りのする世界に行く、そんな雰囲気を持っています。
 ル=グゥインの晩年というのは、若いときに書いた作品を、ある年齢になって書き直していくことなのかもしれない、そのつなぐ部分に、この作品があるのかもしれない、そんなことも思いました。だから、この短編集のハイニッシュユニバース物が、例えば「闇の左手」のある部分を語り直すような、そんなものだったと思うのです。というか、もう少し言うと、「闇の左手」の欠点は、性が分化していないゲセン人のジェンダーが男性だったのではないか、と思っているのですが、その点を書き直そうという、そういった試みがなされているのではないかと思うのです。

 しかし、今年になって、この二人の新刊を続けて読むというのも、なんですね。
 次は、ジョン・スラディックの「ロデリック」を読む予定です。

 先月は終わりごろに、富山に出張に行ったついでに、富山大学のK准教授にもひさしぶりに会ってきました。あいかわらず、「よっこい、正一」とかつまんない親父ギャグをノンストップで聞かせてくれました。
 あー、でも、ほたるいか博物館でたべた、ホタルイカフライはおいしいです。イカフライというよりは、カキフライに近いですね。
 ついでに、水族館も見たし。
 銭湯に行けなかったことが心残りかも。

 仕事では、展示会で説明員をしました。今までは取材する側でしたが。立ちっぱなしで疲れましたです。あんまり客もこなかったしなあ。まあ、これにはしかたのない理由があるのですが。

 そうだな、あとは、丸木美術館にも言ったな。東京都教職員組合の事業で、息子とともに埼玉県の森林公園の近くまで行ってきました。
 「原爆の図」を見るためです。感想は、そうだな、何を言ってもチープになるけど。原爆投下後の悲惨な状況もさることながら、その先にあるもの、背景にあるものもまた、同じ「原爆の図」として描かれ、あるいは別の作品として「アウシュビッツ」「南京大虐殺」「水俣」がつながるものとして展示されている。被爆者には米国兵の捕虜もいたけれども、でもほとんどの捕虜は日本人によって殺されているということも指摘されている。日米双方の残酷さが、そこにある。
 「原爆の図」の第1図から第3図は2点ずつあるというのも、初めて知りました。多くの人に見てもらうために、同じものを丸木夫妻が描いた。とはいえ、それは同じ作品でも模写でもなく別の作品でもある。その差異に込められたものを考えるということもあります。

 とまあ、そんなこんなで、もうすぐ4月です。電力小売り全面自由化スタートです。なんだか、コマーシャルがうっとおしい気がして、いやだなあと思うところもありますが。

 ではまた。