こちら葛飾区水元公園前通信815

tenshinokuma2014-04-15

 こんにちは、です。

 そんなわけで、4月6日には花見を、いちおうしました。
 いちおう、というのは、その日の午後は雨に降られて、結局はうちで飲んでいたからです。なんか、毎年、このパターンですね。うーん、来年は、もっと早い時刻から花見をしたいと思います。ということで、I君、よろしくお願いします。
 これからの季節は、しょうぶ祭りなんかもあるし、気が向いたら、水元に遊びに来てください。

 小学校のPTA会長も、もう少しで退任です。
 卒業式と入学式の来賓挨拶も無事に終わったので、肩の荷が下りたかな、といったところです。
 それぞれ、どんな挨拶だったかは、ブログにアップしました。以下の通りです。ご関心があるかたは、どうぞ。
http://ameblo.jp/tenshinokuma/entry-11816254670.html
http://ameblo.jp/tenshinokuma/entry-11804937368.html
 あとは、総会があって、退任、なんですけどね。
 もっとも、次年度は、ブロックの幹事校なので、少しだけ手伝うことにしました。研修会があるので、それはお手伝いしようか、と。
 正直、自分が〇〇長というのに向いているとは思わないのです。何より、グループでいることが苦手なので。だから、比企ヶ谷八幡が生徒会長をやるのに等しいよな、とは思っているのです。
 まあでも、運命と思って受け入れたところもあります。ぼくがPTA会長をやるということには、何かしら理由があるのではないか、ということです。意外に思われるかもしれませんが、ぼくは運命論者です。
 実際、それはあったかな、と思います。葛飾区に、原発事故のおかげでホットスポットができたとき、多少なりとも放射線の知識があったことは、幸いだったかな、と思います。
 でも、そのぐらいかもしれませんけど。

 今年度はというと、まず、中学校のPTA役員は、やりません。少し休みたいです。まあ、娘のときは中学校ではクレイマーだったので、学校もやってほしいとは思わないでしょうけれども。
 高校は、広報委員会のお手伝いくらいはしますが、ここでも役員はしません。広報委員会は、文化祭で写真を撮影するくらいは、やりますよ、といったところです。昨年、PTAのカメラが使えず、ぼくのカメラで撮影することになったということもあって、まあ、そういうことは役立っているのかな、と。
 でも、町内会は、役員を引き受けざるを得ないですね。さすがに、逃げられませんでした。

 また、その話題か、と思われるでしょうが、今期の深夜アニメは、とりあえず「それでも世界は美しい」がお気に入りです。何だか、深夜アニメとジェンダーみたいな話ばかりになってしまいますが、そうですね、それはあります。
 主人公は貧しい雨の国のお姫様・四番目の末娘。圧倒的な力を持つ太陽王が雨の国から姫を一人、嫁がせろと言ってきたので、主人公が行くわけですが。この太陽王が、弟キャラというか、主人公が姉キャラというか、そういう設定。雨を降らせる能力は、自然との親和性が重要なので、世界の美しさに気づかないと、という。
 かみさんに言わせると、ベタな設定だとか。そうかもしれません。でも、単純に、世界の美しさを忘れそうになる現在だからこそ、意味があるのかな、と思ったりもするのです。
 息子と見ています。

 他のアニメ新番組も見ていないわけではないのですが、別の機会に。
 村上裕一の「ネトウヨ化する日本」を読んだので、「メカクシティアクターズ」も見ることにしたり、とかもありますが。

 終わってしまった方も。
 「のうりん」は、「銀の匙」と続けてみると、くらくらします。どっちがおもしろいかといえば、「銀の匙」とは思うのですが、先日、映画館で前売りを買っているときに、女子中学生か高校生の会話では、「のうりん」の方がおもしろいとか。
 「銀の匙」は、十勝を舞台にした農業高校の話で、主人公は家が酪農家でもないのに、畜産学科に来てしまったという。将来に対する迷いみたいなものもあって。すごくまともな話です。
 「のうりん」はというと、岐阜県の農業高校が舞台。幼馴染がいるところに、アイドルが転校してきて、という、ラブコメとしてはベタな設定。アイドルがクラスメイトになるなんて、ありえないだろ、とは思うのですが。
 で、「のうりん」を見ていて思ったのは、深夜アニメは地域活性化の最強のコンテンツだな、ということだったりします。地域活性化というと、地方が中央から補助金とかをもらって、イベントしたり箱物をつくったり。でも、深夜アニメというか、その原作のラノベもマンガもそうした補助金を受けているわけではなく、それでもファンが聖地巡礼をしてくれるという。
 「のうりん」という作品がなければ、岐阜県の農業のことなんかぼくは考えることなかったはずです。でも、そうじゃない。
 デジタル化によって日本がフラット化していく中で、こうしたコンテンツの役割は大きいかもしれないと、半ばまじめに思ったりもします。

 「ノラガミ」も面白かったです。毘沙門がドSのお姉さまなのか、とか、貧乏神がかわいい女の子だとか、そういうのはどうでもいいのですが。
 実は、仕事の合間に、あちこちを歩くわけですが、都内に限っても、こじんまりした稲荷神社はあちこちにあります。中にはプライベートな社もあったりして。神様がこんなにたくさん祀られているというのに、日常はあまり気付かないのですが。そういうところに住んでいるという。そうした中で、ノラガミというのは、あるんだな、などとも思ってしまいます。その意味で、日本的です。
 深夜アニメというわりには、子どもたちと安心して見られるものでした。

 本のことも。
 エレーヌ・シクスー&ジャック・デリダの「ヴェール」(みすず書房)を読みました。とてもいい本ではあるのですが、最初に文句を言っておくと、高すぎます。本文が100ページちょっと、長めの解説を含めても150ページを超えるくらいの本で、4000円(税別)は高すぎます。しかも、シクスーが読みたかったのですが、そのシクスーの文章は10ページくらいしかなくって。まあ、いいんですけど。
 と、文句を言ったところで。この本は、エレーヌ・シクスーのテキストとこれに触発されたデリダのテキストで構成されています。シクスーはここで、自分の近視の手術のことを語っています。極度の近視が、手術によって治療されて、さまざまなものがクリアに見えたのだけれども、それで良かったということではなく、むしろ近視によってはっきりと見えなかった風景が失われたと言います。その風景は、シクスーにとって、アイデンティティにつながるものでした。
 デリダはこの文章に対し、いろいろな考察を加えます。わかりやすい例として、女性のヴェールがあります。デリダもシクスーもアルジェリア出身、すなわちイスラム圏の生まれです。ここで、男性は元々ヴェールをかぶらない存在であり、女性はヴェールをかぶる存在である。もちろん、女性がヴェールをかぶることを正当化しているわけではありません。
 ヴェールをかぶらなきゃいけないというのは、アンフェアなことだとは思うのですが、そのこととアイデンティティを切断してもいいということは別だし。
 デリダに注目すると、いろいろな読みができるのでしょうが。まずは、そんなところです。

 そうそう、円城塔の「バナナ剥きには最適の日々」(早川文庫)のあと、松田青子の「英子の森」(河出書房新社)を読むと、円城塔を女性にして文系にすると松田青子になるのではないか、などと思ったりもします。

 ではまた。

 なお、写真は、大宮を走るニューシャトルです。