こちらつつじが丘野川どんぶらこ通信945

 こんにちは。

 GWも終わってしまいました。まあ、ぼちぼち仕事してます。けっこう仕事がたまっていて、やらなきゃいかんというものが積みあがっているわりには、あまりお金にならなかったりして。

 それはそれとして、新刊の方は、少しは売れているのかな。感謝です。新刊をきっかけに、6月にはLPガス業界向けにトークライブもするし。その準備もしなきゃ。

 

 それにしても、GWの祝日って、どうかと思うところがあります。

 昭和時代って、最初の3分の1が戦争の時代だったし、戦後も何の反省もなく昭和天皇はいたしで、祝うような日ではないのに、昭和の日ですね。

 憲法記念日は、憲法を守ろうとか、平和憲法ができて良かったね、ではなく、憲法を改正しようという声ばかりが大きかったりして。

 みどりの日だからといって、みどりを愛するどころか、東京では神宮外苑の樹木3000本を伐採しようという計画がすすめられているし。

 子どもの日にいたっては、ずっと少子化が止まらず、なすすべないのが今の政府、ですよね。いや、少子化だけじゃなく、子どもが安心して育つ環境が整備されてないということが問題なんですけど。

 とまあ、日本社会って、ろくでもないよなあ、などと思ってしまいます。こんな祝日なのに、GWだという。

 

 憲法にちょっと戻ると、今の国会での大きなイシューとしては、LGBTQ法案と入管法改正案、そして防衛予算増額の財源ですよね。最初の2つ、基本的人権にかかわることなのに、なぜか逆の方向にしたい議員がたくさんいるようです。

 LGBTQ法案も、G7前にはなんとか、という外圧があってのことですし、一方で入管法改正には外国人の命を軽視するというのがいまだにこの社会の根底にあるよなあ、と思わざるを得ません。

 

 でも、それって政治家だけの責任ではないなあ、とも。

 Yahooニュースのコメントを見ていると、9割くらいは入管法賛成でLGBTQ法案反対です。げんなりします。いや、日本人の9割がそう、ということではないです。大多数はサイレントマジョリティでしょう。

 Yahooコメントの9割は立憲民主党が嫌い、というのもよくわかります。こんなことばかり言われていたら、立憲の議員はうろたえちゃいますよね。人間だもの。まあ、そこはぶれないでほしいですけど。

 

 とまあそんな感じで、ネット社会は、クソだな、と思うこともしばしばです。そんなネット社会の言葉をAIが拾っていったら、まあ、どんなことになるのかなあ、とか。

 

 ということはさておき、GWには、2回ほど山に行ってきました。

 4月29日土曜日は、西丹沢の檜洞丸です。

 昔、ある会社で同僚だった友人KがテスラのモデルYを買ったとかで、自慢したいみたいで、それで山に行こうと。同じく元同僚の友人Sも誘って、アクセスが悪くてそれなりに登りがいがある山ということで、檜洞丸を選びました。

 西丹沢ビジターセンターまで車で行き、そこからスタート。標高差は1000mちょっとですが、わりと急な坂とかもあります。まあ、このメンバーでは表丹沢縦走もしているので、ほぼ同じレベルのコースだし、問題はないです。というか、友人Kはほぼトレイルランだし、二人とも40代なので、いちばんきついのはぼくですかね。

 つつじ新道コースは、ちょっとだけミツバツツジが咲いていたし、山頂近くの平坦な木道は、まだバイケイソウの花こそ咲いていなかったけど、快適な空間でした。

 下りは犬越路経由。なかなか急な斜面で、鎖場もあったりして、ちょっと大変でした。でもまあどうにか無事に下山です。

 

 5月5日は、中央線藤野駅から南側のゆる山を歩いてきました。石楯山に登り、芸術の道を歩き、ヤマビル注意の金剛山では幸いヤマビルに出会うことなく(空気も乾いていたし、ヤマビルファイターも使った)、高倉山登山口にはヤマビル大量発生中とあるのでそこはパスし、京塚山をまわって帰ってきました。ピークでも400mちょっとです。

 芸術の道には、いろいろなオブジェがあって、なかなか楽しいです。

 どんなオブジェかは、フェイズブックで。

 

 村上春樹の「街とその不確かな壁」(新潮社)を読みました。全体が3部構成で、第1部が40年前に書いた中編の書き直し、そして第2部と第3部が新たに書かれたということです。

 また、30数年前には、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」というタイトルで同じ世界を扱っています。

 とりあえず思ったことは、すごくゆったりした書き方になっていて、ちょっと眠くなるところがあったということ。リーダビリティの高い文章なのに。それは「世界の終わり・・・」とはまったく異なるスピード感でした。

 それは、30代の村上春樹と70代の村上春樹が、どこか慎重になって一緒に歩いている、そんな感じだといっていいかと思います。

 あと、いくつかのモチーフが使われます。壁はまあ、タイトルにもなっているけれど、図書館に影、地下、おなじみのものです。

 村上にとって、「海辺のカフカ」というのは1つの転換だったと思うのです。そこでは、主人公を自分の子どもに相当する世代に設定しました。それは作者と主人公との距離感といっていいでしょう。

 でも、今回の作品は主人公が高校時代からはじまって、現在では40代になっている。子どもの世代です。そうであるにもかかわらず、元を書いたのが30代ですから、距離感が揺らいでいるように思います。そこにさらに少年が出てくる。謎の老人も出てくるし。

 そうしたとき、では壁はどこに位置するのか。何を壁だといっているのか。

 卵と壁のエピソードを考えながら、その世界の内側にいることと外側にいることの意味は何なのかな、とか、考えます。

 というようなことを思いながら、読み終えたのでした。いろいろ考えるのだけど、40年前の作品を、結局は消化しきれていないし、それが正しいのかもしれません。

 

 マーカス・デュ・ソートイの「数学が見つける近道」(新潮社)はなかなかおもしろかったです。これまでの作品と比べて、よりやさしい数学を扱っていること、そして数学が近道を見つけるようにして発展したことが語られます。まあ確かに、数列の和とか、そうだよな、と思うし。最後のP≠NP問題(というか、巡回セールスマン問題がその1つ)を除けば、高校で学ぶ数学レベルのことだけれど、その内容というよりも、それがいかに近道につながったか、誰がその近道を見つけようとしたのか、そういったことが語られていて、本当に入門的な本になっています。

 

 壱岐津礼の「かくも親しき死よ」(アトリエサード)も読みました。日本神話の神々がクトゥルー神話の神々に対応していたりして、なかなかよくできているなあと思いました。ネタバレしてしまうと、話は壮大になっていって、なんだか小松左京の「日本沈没」と「復活の日」を足したみたいになっていくのですが。そんなところに、日本SFの影響を見たりもしています。

 

 ようやく、録画しておいた「とんでもスキルで異世界放浪メシ」を観終わりました。異世界に転生して、スキルがネット注文って、なんかすごいな、というところですが、メシの力で魔獣と契約し、おいしい料理をつくって放浪するという、それだけの話で、なんか平和でいいです。

 この作品に限ったことではないけど、日本の平和を感じるアニメは、ロシアでもけっこう見られています。そりゃまあ、セーラームーン大好きのフィギュアスケーターもいたし。

 こうした作品がつくられるのも、それなりに日本が平和なところがあるからだとも思うのです。結局、こうしたソフトパワーこそが、日本の強みなはずだし、長い目で見て、ロシアにもこうした平和な文化財を供給しつづけることが大事なんじゃないかな、とも思います。それは中国に対しても同じこと。

 もっと言うと、パレスチナでもミャンマーでもスーダンでもハイチでも、誰もが平和なアニメがみられる世界になるといいし、そういう世界を目指してもいいんじゃないかな、とも思います。

 いろいろ問題がないわけじゃないけど、それでも日本のアニメって、脳みそが腐りそうな地上波のバラエティ番組に比べたら、よほど良質なコンテンツだとも思うし。

 とまあ、そんなことも思ったりするのでした。