こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信939

 こんにちは。

 

 年末であわただしいですね。ぼくはといえば、今年末で退職し、次は何をするのか、いろいろ考えているところです。フリーランスに戻るのか、サラリーマンを続けるのか、どうなのでしょうか。とはいえ、まずは脱炭素をテーマとした本の執筆を進めています。

 3月には出版したいというのが出版社の意向なのですが、すみません、原稿、まだ3分の2です。

 

 今回も業務連絡。

 ちょっと遅くなってしまったのだけれど、12月12日に発売された「週刊エコノミスト」に記事を書きました。来年の再エネビジネスについてですが、バックナンバーがおいてある大きな書店があったら、見てやってください。

 

前回から時間があいたので、その間、アウトドアしていました。本の原稿はどうなるんだ、とか言われそうですが、休日は休日です。

11月末の日曜日には、陣馬山から高尾山への縦走。年に一度はここを歩くのですが、今回のテーマは紅葉です。高尾山の紅葉はそれなりに有名ですが、人の少ない奥高尾の紅葉を堪能したいということでした。実際、なかなか美しかったです。

 

12月3日土曜日には、表丹沢。ヤビツ峠から塔の台経由で二の塔、三の塔、烏尾山などを経由して塔ヶ岳へ。ここも年に一度は歩くコースですが、一二月ともなると人が少なくて(それでも多かったけど)、鎖場の渋滞とかもなくていいですね。紅葉は上の方はすっかりおわっていて、葉を落とした明るい森の中を歩くというのも気持ち良かったです。

ただ、けっこう風が強くて、寒いのと、やせ尾根で風をあおられるのはどうか、といったところでしょうか。

紅葉については、大倉尾根の下の方にカエデの植林があって、ここはなかなか目を楽しませてくれました。以前、春に歩いた時から目を付けていたので。大倉尾根って、見るところがないストイックな登山道だけれども、紅葉は美しいです。

 

12月24日には、ゆる山に行こうということで、鎌倉の源氏山から大仏ハイキングコースを歩き、途中、知られざる山である桔梗山113メートルにも上りました。これがこの日のピークですから、低いですね。

 

ついでに、12月10日には、根府川にある米神漁港で釣りをしてきました。残念なことに、ベラがたくさん釣れました。アカハタやキジハタが釣れるといいなあと思っていったのに。でもまあ、ベラはベラで、三枚におろしててんぷらでおいしくいただきました。ベラといっても、6種類は釣れましたからね、ベラだけで五目釣りです。

 

ということで、12月28日には生越でトレッキングをしてきます。これが今年最後かな。越生駅10時集合で、大高鳥山を目指します。ご関心あるかたはぜひ、一緒に。

 

 12月はあまり新しい本は読んでいなくて、再読が多かったのですが。

 樋口ヒロユキ著「恐怖の美学」(アトリエサード)は、著者はSUNABAギャラリーの経営者なのに、美術の紹介が少ないという、ということはさておいて、中岡俊哉の心霊写真シリーズとか矢追純一のUFOとか五島勉ノストラダムスの大予言シリーズとか、B級の恐怖あたりまで引っ張りだして、やたらなつかしかったり。寺山修二に萩尾望都筒井康隆高原英理など。たしかに悪霊にたたられたりしたらこわいけど、実際には交通事故とかのがはるかに怖い、はず。好き好んでホラー映画を観に行くし。

 恐怖を感じるのは、けっこう人にとって大切な能力なのではないか、というのが樋口の主張。それがあるから、危険を回避できる。という文脈で、恐怖を別の面から示してくれる。恐怖を感じることは、日常的に必要なのかも。

 おもしろかったです。

 

 水木しげる著「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は、その意味では恐怖が失われた世界の怖さなのかもしれません。第二次世界大戦、舞台はニューギニア。島に上陸するものの、食料は十分になく、まともに米軍と戦闘できない状態の中、結局は捨て石になっていく。戦う以前に生き残れない状況の中で、恐怖はどこかで壊れている、日常に死がある状態。

 という中から、現実の水木しげるは生還したのだけれど、だからこそ樋口の指摘する恐怖を取り戻すことの重要さを知っているのかもしれない。

 そんなふうに思いました。

 

 なんとなく、ニール・サイモンの喜劇が読みたくなって、「サンシャイン・ボーイズ」と「ビロクシー・ブルース」(いずれもハヤカワ演劇文庫)を読みました。予定調和のようなハッピーエンドが待っているというものではない、というのは「おかしな二人」もそうなのですが、軽妙なギャグのやりとりは鉄板だし。「サンシャイン・ボーイズ」の老コメディアンは結局は舞台に復帰しないけれども、まあ、それはそうだよな、と思えてしまいます。「ビロクシー・ブルース」が新兵が教練を受ける施設での話。こうやって兵士がつくられる。不条理なことを、喜劇として見せてくれる一方で、その不条理さがどっかで恐怖を壊す。

 戦争の中で恐怖を感じることが壊された風景というのは、そういえば伊藤計劃の「虐殺器官」で読んだっけな。

 

 それはそれとして、ニール・サイモンのビターな喜劇は、時代を超えて演じられてもいい作品だと思いました。

 

 とまあそんなところで、良いお年を。