こちら葛飾区水元公園前通信929

 こんばんは。

 ゴールデンウィークもあっというまですね。

 

 なんだかばたばたしているうちに終わってしまうという感じです。

 まあ、いいんですけどね。

 

 書店で平積みになっている、鈴木忠平の「嫌われた監督」を読みました。おもしろいって勧められたからなのですが。まあ、面白かったです。中日の落合元監督についてなのですが。正直に言えば、プロ野球の球団の監督として、しっくりこないというところがあります。イメージ通りだなあ、と。選手に大人であることを求めるのはわかるのですが。嫌われてしまうっていうのは、まあ、アンチヒーローみたいなのもあるとは思うのですが、なんだろうなあ。日本シリーズの山井の幻のパーフェクトとか、ないよなあって思うし。落合が退任して、あっというまにチームは崩壊するし。物事には常に理由があるし、そのことは説明されるわけだけど、でもなあ、と。

 落合の異質さというのがよくわかります。

 

 ハヤカワ演劇文庫の岸田國士の戯曲集の2と3も読みました。作品でいうと、「動員挿話」や「風俗時評」といったあたり。あまりト書きがなく、台詞で構築された世界、というのがあります。演出するのはけっこういろいろなことができていいのではないかな、と思うのです。

 どこかに社会性を帯びた作品というのは、今でも上演できるのではないかな、とも思います。それだけ、この100年間の日本は変わっていないというのでしょうか。

 逆に、今だと上演してもなんだかわからない作品もあるなあ、と。そんな落差も感じます。

 岸田にとって戯曲は音楽的だし、だとしたらスコアを読んでいるのかもしれないな、とも思います。だから、それをどのように演奏するのか、と。

 

 ついでに、テネシー・ウィリアムズの戯曲も読みました。有名な作品なのに読んでいないなあ、と。「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」「トタン屋根の猫」(新潮文庫)。いろいろな形でウィリアムズの苦悩が反映されています。強権的な父親によってほぼ廃人になってしまった姉への愛。同性愛者としての自身の苦悩。いずれも、時代を反映したところがあります。南部ミシシッピ州から出ていったわけだし、故郷に対する複雑な思いもあるでしょう。たぶん、故郷は好きではないけれども、抱えなきゃいけないものでもある、と。

 ぼくはこの3冊のうちでは、「トタン屋根の猫」がいちばん好きかな。なのに新潮文庫は絶版なんですけどね。この本、第3幕については、オリジナルのテキストと、演出家の意見が反映された上演台本の2種類の第3幕が収録されています。第2幕はほとんど父親と次男(主人公)とのやりとりで、これがすごく密度が濃いものになっているのですが、そこで二人は語りつくしているので、オリジナルでは父親は第3幕には出てこないのです。でも、このキャラは第3幕にも登場させたいというのが、演出家の考えでした。舞台としてはその方がアクティブに感じられるのだと思います。そうでもしないと、第3幕はメインディッシュが終わったあとのコーヒーとデザートみたいなものに感じられてしまうからです。でも、テキストとして伝わってくるのはオリジナルだと思いました。ゲイである夫を支えようとする妻の愛が、オリジナルの第3幕の方に強く感じるのです。

 ウィリアムズはト書きをいろいろ書きこんでいます。登場人物の心理について書きこみ、それが表現されるような演出を求めています。演出家はやりにくいだろうなあ。

 

 戯曲ついでに、アントン・チェーホフの「一幕物全集」(岩波文庫)も読みました。喜劇が収録されていて、後の「桜の園」や「かもめ」とはちょっと雰囲気が違うところもあるのですが、没落する貴族というか、それを含む人々の原型が示されていて、興味深い本でした。でも、戦前の版で旧字体なので、読むのは大変でした。

 

 さらに戯曲ついでに、ドン・デリーロの「白い部屋」(白水社)。精神病院らしき舞台、誰が本当の医者や看護師なのかわからない。白い部屋っていうと、クリームかなって思うかもしれないけれど、原題は“The Day Room”なので、違いますね。なかなか演じがいのある作品なのかな、と思いました。

 

 温又柔の「空港時光」は、フリーペーパーを読んでいて気になったので読みました。温はけっこう好きな作家ではあるのですが。

 台湾生まれ、日本育ちの温にとって、空港そのものが世界が交差する場所であり、そこで何かを語ることができる、という場所なのだと思います。温自身が、交差する場所にいるわけですから。

 

 今月のイチオシはアリ・スミスの「春」(新潮社)です。スミスは最近ではイチオシの作家なのですが、「春」は四季シリーズの3作目になります。背景となるブレグジットについて、批判的に描かれつつ、そういった状況となってしまっている社会の中で、辺境にいる人々が描かれています。具体的には、第2部に、移民収容所の少女とその脱出を手伝う女性の旅が描かれています。第1部では、パートナーの優秀な脚本家を亡くした失意の男性の旅描かれ、第3部で出会うという。メディアがダメになっていく流れの中で、男性は落ち込んでいくということです。

 アリ・スミスの「ホテル・ワールド」(DHC)は、絶版だったので、アマゾンのマーケットプレイスで購入。こちらは、まだ未完成のスミスです。ホテルをめぐって、5人の女性がそれぞれ語ります。配属されて2日でエレベーターから転落して死んだ女性、その妹、物乞い、記者、寝たきりになってしまった同僚。イギリスにおいて、女性がいかに辺境に追いやられているのか、ということが示されるわけですが。それぞれ語りの形式を変化させているのですが、面白いけど、技術に走っているところがあるなあ、と、そんなことも感じるのでした。待ってれば文庫で再刊されるような気がします。

 

 フランソワーズ・サガンの「熱い恋」(新潮文庫)は、サガンの読み残しだったもの。なんか、恥ずかしいタイトルだけど、これは日本の出版社がつけたもので、原題はぜんぜん違う。30代のまだ子どものような男女が恋愛において負ける話。心理描写が多くて、今はもうサガンがそれぼど読まれなくなっているのもわかるなあ。なんか、くどいんだよなあ。とまあ、そんなことを思うのでした。

 

 福島健児の「食虫植物」(岩波書店)、実は食虫植物は思ったよりいろいろな種類があるし、定義も変化しているし、進化もけっこうロジカルにたどれるし、と。元食虫植物っていうのもいるし、落ち葉を消化するように進化した食虫植物もある。ウツボカズラの中にすむカエルだっている。とまあ、そんな本でした。

 

 この1カ月は、そんな感じで本を読んでいました。

 

 ではまた。