こちら葛飾区水元公園前通信923

 おはようございます。

 今日で10月も終わりですね。

 日も短くなってきたし、寒くもなってきました。

 

 業務連絡から。

 トーキングヘッズ叢書No.88「少女少年主義」が発売されました。今回も書かせていただきました。ということで、ぜひともお買い求めのほど、よろしくお願いいたします。

 

 10月は、2回ほどトレッキングに行きました。

 まずは、埼玉県飯能市の柏木山。飯能三山の1つです。まあ、とても低い山ではありますが、なんか山頂の雰囲気がおもしろかったです。いろんな椅子があってね。カモシカの道とかもあって、オブジェが配置されていたりとか。

 

 そのあと、久しぶりに大山にも上りました。今回は、ヤビツ峠からのルート。そのヤビツ峠に新しいお店ができていて、なんか、山を下りてきたらビールを飲みたいな、という感じでしたが、とりあえずそこから登るということで。

 

 11月は表丹沢縦走をしたいと思っています。

 

 そんなわけで、総選挙ですが、投票しました?

 15年くらい前から思っているのは、1回の選挙で何か大きく変化することはないけれど、その積み重ねが社会を変えていくんだろうな、ということです。

 大きな変化を期待し過ぎると裏切られます。かつての民主党政権では、みんな裏切られたと思っているかもしれないけれど、それは期待のし過ぎです。政府の政治家がかわっても、行政機関の職員が変わらないので、そんなにすぐには変化できないのです。

 また、その後の反動と無関心がどれほど緊張感のない政府をつくってきてしまったのか。

 それは気付くと、「安定した政権」などではなく、「頭の悪い政治家の集まり」をつくってきたのだと思います。

 あるいは、野党共闘という構図が少しずつ進化してきた、ともいえるでしょう。

 

 今回の総選挙は「バラマキ合戦」だと批判されていますが、そもそも日本は9年間、バラマキをつづけてきました。ただし、ばらまく先を誤っていたために、暮らしは良くならなかったのだと思います。

 その意味では、ただしくばらまくのはどちらか、という論点になるべきでしょう。

 こうした点に対し、日本経済新聞が反ばらまきキャンペーンをしているのが気になります。

 ぼくがバラマキを肯定するのは、「そもそも通貨の価値を維持することは、現代の資本主義社会において、所得の再分配をするために効率的ではなく、むしろ通貨の価値を少しずつ減らしていくことで、間接的に“持てる人”からの税収を増やすことになる方向にはたらかせるために、多少のバラマキが必要」というものです。

 だから、正しくばらまいてほしいとも思います。

 

 あと、与党に限ってですが、「改革」や「変化」を訴える政治家って、自己否定だよな、と思います。

 ついでに、野党も含めてですが、「身を切る改革」と言っている政治家も偽物だよな、と思います。政治家が「身を切った」ところで、あまり恩恵はないし、それ以上にこちらも切られたらたまりません。日本を大阪みたいにしたくはないですよね。

 よく、政治家の給料が高いという人がいますが、ぼくはそうは思いません。高い給料の分だけ仕事をしてもらえればいいのです。逆に、給料が高いと思えるような政治家を選んでしまったことの方が問題ではないでしょうか? もっとも、日本の国会議員に限れば、もっと政策スタッフを雇用できるようなしくみがあるといいと思っています。

 

 今月は荒木飛呂彦の「ジョジョリオン」(集英社)と金田一蓮十郎の「ラララ」(スクウェア・エニックス)が完結しました。そのことはトーキングヘッズ叢書に書いたので、読んでもらえれば、と思うのですが、意外だったのは「ラララ」が家族の話であるように、「ジョジョリオン」も家族の話だったな、ということです。

 

 アンソロジーだけど「再装着の記憶」(アトリエサード)も読みました。ひさしぶりにSFを読みました。TRPGをもとにしたシェアワールドなのだけれど、太陽系を舞台に、人の精神がダウンロード可能で、身体はいくらでもハードウェアとして乗り換え可能な未来の話。シェアワールドはけっこう豊穣な世界観だな、と思うし、設定に基づく“ポスト・ヒューマン”を考えることも悪くないな、と思いました。同時に、書かれた作品に対して、“ポスト・ヒューマン”というには、もっといろいろ掘り下げていくことができる可能性も感じました。

 ふと、私たちの身体はエッジであり、精神はクラウドにある、というのだったらおもしろいかな、とも思いました。

 

 カトリーヌ・マラブーの「抹消された快楽 クリトリスと思考」(法政大学出版会)も読みました。朝から通勤電車でこれを読むのもどうかとは思うのですが、イスラム圏の一部におけるクリトリス切除の問題を中心に、快楽から排除される女性と家父長制との関わりということが論じられています。

 あまりにもストレートすぎて、論じにくいテーマだったと思い、読んでしまいました。

 

 アーシュラ・K・ル=グウィンの「文体の舵をとれ」(フィルムアート社)。小説を書く上での技法を学ぶ、ワークショップ形式の本。なるほどな、と思いつつ、では、次回書く時に注意します、としかいえないですが。

 

 リービ英雄著「天路」についてもトーキングヘッズ叢書で書いたけど、ブルーバードにのってチベットを訪問する、その一方で、新宿の自宅がいつも思い出される、台湾出身のアメリカ人による小説は、どこか根無し草のような旅だって思いつつ、けっこう好きです。

 

 小菅桂子著「カレーライスの誕生」(講談社学術文庫)を読むと、カレーライスって日本の料理なんだなあ、と思うのでした。

 

 あとは、最終講義のフルバーションとでもいうような、長谷川公一著「環境社会学入門」(ちくま新書)はいろいろな示唆を与えてくれました。

 石沢麻依著「貝に続く場所にて」(講談社)は、震災とその後に住むドイツの間にある話だけど。なぜドイツなのかがちょっと入ってこなくて。

 

 そうそう、中学時代の友人である、平泉邦夫著「私の相談援助スタイル」も読ませていただきました。

 福祉職として相談援助員というのがあるのですが、けっこう難しい仕事というのかな。個別の介護などのケースに向かい合わなきゃいけないし、家族というノイズをうまく排除しつつ、本人の意向を引きださなきゃいけないし、と。

 という仕事なのですが、どのようなことに注意し、あるいは何を目指していくのか、ということが書かれているというのは、けっこう考え方として他でも共通するビジネス書なんだな、と、教えられることもありました。

 

 とまあ、そんな感じの10月でした。

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