こちら葛飾区水元公園前通信915

 こんにちは。

 2月ももう残り一週間くらい。なんか早い。

 

 今月のトレッキング、まず2月6日は高尾山から。

 これまで何度も登っている高尾山ですが、蛇滝口から登ったことはなかったので、今回はそこから。

 JR高尾駅から小仏峠行バス、蛇滝入口で下車。そこから、わりと人の少ないコースを1時間ほどで、2号路にでます。まあそこからはいつもの高尾山なのですが。

帰りは、琵琶滝経由。滝から滝という高尾山でした。

 

 翌週の2月13日もトレッキング。

 大山三峰近くの辺室山に。ヤマビルがたくさんいるところなので、冬のうちに歩いて置こうということで、行ってきました。

 前回の登山口である煤ケ谷の先にある土山峠までバスで行き、そこからスタート。大山三峰と異なり、鎖場はないし、まあ、一部に痩せた尾根とかありますが、急坂もなく、尾根の真ん中の木の横を通りながら歩いてきました。

 辺室山の標高は600m台、楽なもんです。とはいえ、滑落しそうな場所も少なくはないので、ファミリー向けではないですね。

それと、景色がいいわけではなく、それでも冬ということもあって、日当たりはいいかな、といったところでしょうか。

でも、この日のピークは辺室山ではなく、大山三峰との分岐点。

物見峠から煤ケ谷に降りるのに、山腹を通る道がけっこう崩落していて、ちょっと歩きたくない感じだったので、尾根の急坂を上り、迂回しました。その先、大山三峰との分岐点が、標高700m以上で、この日のピーク。

でもここまでくれば、あとは下るだけ。足元がいいとはいえないけど、まあ、ゆっくりと下山です。

 

 トーキングヘッズで岡和田晃山野浩一のこれまでの仕事の発掘をしている。No.85では、イヨネスコの戯曲の日本での公演にもかかわっていたとのこと。

 ニューウェーブがアンチテアトルにつながっている、というのは、言われてみれば納得できるのだけれども。

 ベケットが現在も新訳で戯曲全集が刊行されているのに対し、イヨネスコについては現在はそこまでのことはなく、それでもときどき、「授業」を中心に上演されることがあるな、と。

 これは、2年前かな、イヨネスコの全集を読んだときに思ったのだけれど、イヨネスコの戯曲がつくってきたものは、現在の戯曲にすっかり浸透し、進化、少なくともアップデイトした形で生きているから、なかなかイヨネスコに戻ってそれを上演するのはきついのかな、と。ベケットの戯曲は逆に袋小路で、その先に進化することはなく、だからこそ今でも読まれるのかな、と。

 でも、そのイヨネスコの浸透ぐあいというのは、決して表層的な喜劇だけじゃないとも感じている。イヨネスコが描く不条理の背後には、第二次世界大戦の不条理がずっとあって、ただしそれをイヨネスコ自身が直接書くことを避けてきた、ということもある。それが、戦争という方向から見てみることで、違う見方ができる、というのがイヨネスコの戯曲なんだな、と。

 その意味において、最晩年の、全集に収録されていない短いオペラ「マクシミリアン・コルベ」が、イヨネスコを理解する鍵になっているとも思う。それは、アウシュビッツで最後に死んだ神父の話なのだが、もうそこには祈りしか残っていない。

 

 そんなことを思ったのが、劇団チョコレートケーキの「帰還不能点」を見ながら、あらためて思った。

 1941年、当時の各省庁・軍・日銀などから集められた若手エリートが総力戦研究所に集められ、日米戦争についての研究を行った。その結果は日本が大敗するというものであったにもかかわらず、その年の12月に開戦する。舞台は1951年、そのOB会が、亡くなったメンバーの追悼を兼ねてその妻が営業する居酒屋で行われる、というもの。彼らが劇中劇のような形で、当時の政府の意思決定の場面をさまざまに演じていく。結局のところ、だれも戦争に進む道から引き返すことができず、敗戦に向かっていくのだが、では日本の敗北を分析していた当時の若手エリートは何もできなかったのか。

 もちろんこれは過去の話であるが、現在もまた、同じような不条理の中で引き返すことができなくなっている場面がさまざまにある。

 

 その現在の不条理を描いたのが、二兎社の「ザ・空気3」。舞台はテレビ局。政府に対して批判的なニュース番組のディレクターが結果として異動が決まり、その最後の番組の日、討論のコーナーで、政権べったりの政治ジャーナリストが久しぶりに出演し、政権を批判する評論家と討論することになっているのだが、実はそこには政権をゆるがす情報がある、という。

 どう見たって、これまで「報道ステーション」や「NEWS23」や「クローズアップ現代」で行われてきたことなのだけれども。

 現在においてもない、不条理な空気が日本を支配しているのであれば、それは80年前の日本と変わらないし、戦争ということではなくても、ゆっくりと衰退していく道の途中にあるということはいえると思うのです。

 

 イヨネスコの戯曲がそれほど演じられず、図書館の中にあって誰かがときどき読み、誰かが思い出したように上演すればいいかな、と思うのは、それは現在のぼくたちが、すでに自分の時代のアンチテアトルというものの中にいるからではないか、ということ。

 

 そうそう、1月17日には、かつしか演劇祭にも足を運びました。

 無料で楽しく演劇を観られたので、良かったです。コロナ危機のおかげで、出演を取りやめざるを得なかったグループもあるのですが。なかなかたくさんの人に来てもらうのは難しいのが現状ですが、地域イベントって大事ですね。こういう形で、普段、演劇を観ない人が、観る機会ができるっていうのもいいことだと思います。

 

仕事ですが、YouTubeに加えて、Clubhouseまではじめました。お昼の時間帯に、日経や海外のサイトで紹介されているエネルギーと環境のニュースを解説します。

まあでも、あらためて、日本企業の、それも大企業は衰退する道を選んできたんだなあと思います。

興味のある方はぜひ、Roomに入ってみてください。

しかし、ぼくはどっちかというとテキストの人なんだけどなあ。晩年の筑紫哲也か。

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