こちら葛飾区水元公園前通信888

 あけましておめでとうございます。

 今年最初のこち水です。

 ナンバーも888と末広がりで、縁起がいいですね。今年はいい一年になりますように。

 

 前回、告知しましたが、年末に友人Wと三峯神社に行ってきました。加門七海の本でも紹介されている、強力なパワースポットです。友人Wは狼信仰にこっているのですが、まあその一環でもあります。

 しかし、秩父の奥地は遠かった。西武新宿駅からバスで2時間弱。朝早く出てきたのに、着いたらもうお昼。秩父名物わらじかつ丼が昼食でした。まあ、わらじのような大きくて薄いかつが2枚、たれで味をつけたのがごはんの上に乗っているという、なかなかパワースポット的なものでした。

 三峯神社狛犬は犬ならぬ狼です。あと、本殿などの彫刻はとても美しく、これだけでも見る価値はありますね。

 境内には温泉もあり、日帰り入浴もできるのですが、ボイラの故障で入浴できなかったのが残念です。

 ということで、滞在時間は2時間弱。帰りのバスは秩父鉄道の三峰口行きでした。まあ、鉄としては、秩父鉄道に乗れるだけでもうれしいし、三峰口駅には昔の貨車なんかが展示されているので、わずかな時間だけでも見ることができて良かったです。

 結局、西武秩父駅構内にあるスーパー銭湯の祭の湯で温まって帰りました。

 次は泊りがけで行こうということになっています。秩父の銭湯にもぜひ行きたいですね。

 

 そして、年が明けて1月3日は、友人Aと与野七福神めぐりをしてきました。

 例年なら2日なのですが、今年に限って3日だったのは、老健から実家に帰っている親父のめんどうを見るため。そういうわけで、2日の朝湯も金町湯ではなく江北湯。おかげで、干支せっけんをもらいそこねた、ってどうでもいいですね。

 でも、3日にしたおかげで、与野七福神めぐりでは仮装七福神に遭遇しました。これ、3日限定のイベントだったので。ありがたいことです。

 与野七福神埼京線与野本町駅を中心に、だいたい本町通りぞいにあります。神社もあればお寺もあるし、途中、七福神ではないけれど、出世稲荷神社や銭新井弁天にもおまいりしました。

 行く先々で、仮装七福神に出会うのですが、最初は固かった表情も、最後に会ったときはにこにこしてましたね。やっぱり七福神も緊張するんですね。

 お寺をでると、そこにはマイクロバスが駐車していました。お客名は与野七福神様。七福神は宝船ではなくマイクロバスに乗ってやってきたのです。

 

 三峯神社と与野七福神の写真は、フェイスブックにアップしてあります。ご関心のある方はぜひ。

 

 昨年最後に読んだ本は、アンジェラ・カーターの「ホフマン博士の地獄の欲望装置」(図書新聞)。これは面白かった。おすすめです。

 そもそも、ぼくがカーターを読むようになったきっかけは、サンリオSF文庫でした。近刊予告に「ホフマン博士の欲望装置」というのがありました。どんなマッドサイエンティスト物だって思うでしょ。でも、サンリオSF文庫そのものがなくなり、そのわりにはカーターの作品ってけっこう訳されていて、昨年は国書刊行会からも「新しきイヴの受難」が出ています。

 で、待つこと40年弱、近刊予告が出版されたわけで、なかなか思うところあります。

 何がすごいって、欲望装置によって、いろいろな異世界に行くことになるっていう。ファンタジーじゃないです。むしろSM的なポルノグラフィ。サドの世界やら馬の世界やら。

 マジックリアリズムという言い方がされているけれど、南米のそれとは異なり、何らかの装置がマジックリアリズムに必要ということでしょうか。主人公とホフマン博士の闘いはどうなるのか、ぜひお読みください。

 

 今年最初に読んだ本は、マーク・ロナンの「シンメトリーとモンスター」(岩波書店)。数式がほとんど出てこない数学の読み物です。でもなあ、そもそもシンメトリーのイメージができないと、何の話をしているのか、つかめないんじゃないかなあ、と思いました。いや、モンスターの発見とそれ以上の有限単純群がないという証明はドラマではあるんだけど。

 ということで、今はアリ・スミスの「両方になる」(新潮社)を読んでいて、これが面白い。

 

 続いて読んだ本が、アリ・スミスの「両方になる」(新潮社)でした。これもおすすめ。全体が2つのパートでできています。一方は14世紀の画家の話。母親の死を乗り超えて、画家として修行を重ね、依頼されたテンペラ画を完成させていくのですが、そこにはさまざまな思いが込められて行きます。時間が前後するトリッキーな記述の中で、芸術家としてのエゴがどのように発揮されるのか、なかなか迫るものがあります。

 もう一方のパートは、現代が舞台、直前に母親を亡くしたジョージという女の子が、母親の想い出を語りつつ、イタリア旅行で心に残った14世紀のテンペラ画にかかわっていくという話です。

 ジョージの母親は、ゲリラ広告を作成する活動家でフェミニスト。設定された年齢がアリ・スミスに近いという点も指摘しておきます。また、全体を通して、ジェンダーについても細かい配慮がなされていて、結局のところ、自分らしいエゴというものの姿を現すような作品なのだと思います。

 で、二つのパートと書いたのだけど、実はどちらも第1部となっており、どちらも1ページから始まるページ数がふられています。書いてしまうと、どっちのパートが前にくるのかで、2つのバージョンがあるということです。もっとも、邦訳では、14世紀が先にくるバージョンしか確認していないのですが。

 

 そうそう、年末年始は、SFマガジンを読んでいました。「アーシュラ・K・ル=グイン追悼特集」と「ハーラン・エリスン追悼特集」です。

 ル=グインというと「闇の左手」が代表作なのですが、ぼくはどうしても違和感があるんです。90年代に、ル=グインはもう少し先に踏み込んでいったのではないか。もっと言うと、セックスの描き方が自由になったんじゃないか。だから、アースシーでは、「壊れた腕輪」を「帰還」という形で語り直したと思うし、別の短編ではケメルについて再度取り組んでいる。そして「赦しの日」も同じです。で、ぼくは90年代のル=グインが好きだなあ、と。アースシーより西の果て年代記が好きだなあ、とあらためて思うのでした。

 でもそれって背景があります。「闇の左手」と同時期に、ジョアンナ・ラスの「フィーメール・マン」も読んでいたのだから、その印象はさして知るべきでしょう。

 エリスンの短編は、まあ、エリスンだよなあ、と。敗者の美学と暴力性というような、そんな感じは変わりません。

 

 あと、昨年は群像に掲載された紗倉まなの「春、死なん」も読みました。70代老人の性を扱った作品ですが、実はポルノグラフィの消費者って、こんな人なんじゃないかな、と思うのでした。全てではないにせよ、ひとつの姿っていうのかな。そのどうしようもなさって、あると思うのです。

 そういえば、遠隔診療サイトを運営している人の話によると、ED治療薬のための診療で、当初は50代の患者を予想していたのですが、実際には60代、70代の人が多かったということです。まあ、そういうのが必要なくらい元気なのは、いいことですね。

 ってか、「帰還」のときのゲドって、何才だったんだろう?

 

 最近は、テレビドラマ「夕べはお楽しみでしたね」が楽しみです。ちょっとした思い違いから、転生したらスライムを抱えた本田翼と同居していた、という話です。いや、転生はしていないのですが。

 そもそも、オンラインRPGのドラゴンクエストXをしていて、互いに性別の異なるキャラクターを操作していたのがまちがいのものなんですけどね。

 原作は金田一蓮十郎ジェンダーセクシュアリティがねじれている傑作です。

 

 そんなわけで、ではまた。