こちら葛飾区水元公園前通信874

tenshinokuma2018-04-26

こんばんは。

まず、告知から。現在発売中の「月刊BOSS」にコラムを書きました。「宅内IoTとこれからの公益事業」とかいうタイトルです。
関心のある方は、立ち読みでもしてやってください。

 さて、世の中は、モリカケのセカンドシーズンという感じですね。完結編はまだか、とか思ったりします。
 でも、じゃあこれで安倍内閣が辞職すればいいかっていうと、そこでようやく政府の崩壊が一時的にストップするくらいのことでしかないですね。というのも、これって政策の問題ではないから。政府そのものが信用されないので、政策を問うことなんかできない、という状況なわけですから。
 仮に、総理大臣が石破茂になったとしましょう。改憲の流れは変わらないです。岸田でも誰でも、自民党政権が続く限りは、政策は根本的な変更はないと思っています。あまり無理やりなことはしなくなるかもしれませんが。それでも、「働かせ放題」とか、原子力政策とか、アメリカべったりの思考停止とか、変わらないでしょう。税は所得の再配分が大事なはずなのに、それがおろそかにされている現状とか。
 そういった点が、問題として広く共有されないと。政策的なことを言うと、日本をもっとも崩壊させてきたのは、小泉純一郎だと思うんですけどね。その検証って、あまりされてないですよね。自衛隊の日報が出てきたので、あらためて小泉政治がいかにでたらめだったかを、はっきりさせておかないと。だいたい、安倍を後継者に指名したのが小泉なんですから。
 もっと言えば、安倍って、劣化した小泉なんですよ。

 今月のトレッキングは、1年ぶりの陣馬山―高尾山という縦走でした。陣馬山さえ登ってしまえば、あとはなだらかなアップダウンを楽しく歩けるので、けっこう好きなんです。
 もはや、登山ではなく、走り抜けていく人もけっこういます。
 昨年は藤野から登ったのですが、今回はもうちょっと楽に陣馬高原下から登りました。今回、初めて、新ハイキングコースを歩きました。途中まで、川沿いのコースで、これは夏はいいだろうな、というところです。
 ヤマザクラもちょうどいい感じで咲いていて、新緑の山の中にかすむようなうすいピンクがあるという風景です。この他にも、ヤマブキとかいろいろな花を楽しめました。変わったところでは、マムシグサとかも。
 今回、高尾山からの下りでは、リフトを使ってみました。ケーブルカーは乗ったことがあるのですが、リフトは初めて。でも、解放感の中、山を下りていくっていうのは、けっこう楽しいですね。距離も長いし。紅葉シーズンはみんな乗りたがるわけですね。

 次回は、表丹沢を予定しています。蓑毛からヤビツ峠、塔ヶ岳を経由して大倉尾根を下るというコース。多少きついアップダウンもあるのですが、一緒に行くという人、いませんか?

 最近読んだ本というと、安富歩の「ジャパン・イズ・バック」(明石書店)で、2013年時点での安倍政権批判。当時の日本の立場を守りたい人の利権のための政治、という批判ですね。立場を守りたいお友達、ということでしょうか。この構造がさらにぐずぐずになり明確化されたのが現在、といったところです。

 中村うさぎの「他者という病」(新潮文庫)も読みました。何となく、気になったので。中村は心肺停止とかそんな状態から蘇生した経験があります。そこから、死をブラックアウトとだとして、でもそれで苦しみから解放されるならいいんじゃないか、ということも。
 中村は、他者から承認されることを求め、女性としての賞味期限とか、そんなことを考え、美容整形を受け、デリヘルを経験し、ホストクラブに通うという、そんなことをしてきたわけですが。その承認の先の死生観というのはあるのかな。
 その一方で、夫との家族としての絆も確認しています。夫というのはゲイなので、性的関係はないけれども、それとは別に、互いに大切な人間としてつながっているということ。そんなことも。
 病気を抑えるための薬によって人格が変わったりとか。行きつくところに来てしまったという、そんな感じがする本です。

 森達也の「ニュースの深き欲望」(朝日新書)、社会に対する認識はほぼ一致するので、その通りだよなって思う本。森はオウム真理教信者のドキュメンタリー「A」「A2」を監督した。残念だけど、ぼくはこの映画を見ていない。でも「A3」は読んだな。
 ここでフォーカスされるのは、オウム真理教ではなく、壊れ行く日本社会。これは、繰り返し書いたけど、1995年の事件から、「不当逮捕」が行われたし、足立区などの自治体が住民票の受け入れを拒否した。子どもは小中学校に行くことができなかった。でも、それを社会(一般の人々も、マスコミも、有識者のほとんど)は異議を唱えなかった。明らかに「憲法に違反している」にもかかわらず。その背後には同調圧力がある。同質性に回帰してしまう、日本人の多くの持つ性質、それが結果として日本を壊してしまったのではないか。
 そんなことを確認するだけでも、おすすめしておきます。

 アンジェラ・カーターの「新しいイヴの受難」(国書刊行会)も。何の予告もなく、カーターの新刊が出たので、びっくりすると同時にうれしいですね。
 テーマはストレートにジェンダー。女性に対して暴力的な態度をとっていた主人公のイヴリンが、無理やり性転換させられて、男性に奉仕させられたり、女性だと思われていた男性と結婚したり、とまあ、楽しく混乱していく小説。1977年の作品なので、その時点でのジェンダー批判がわりとストレートだな、とは思うのですが、それをエンターテインメント性の高い作品に仕上げていくところがカーターだなあ、と。

 というわけで、今、アンドレア・ドウォーキンの「ポルノグラフィ」(青土社)を読んでいます。書いていることはその通りなのですが、ドウォーキンがだめだなあって思うのは、ジェンダーセクシュアリティを切り分けていないことなのではないか、と思いました。
 まあ、この話の続きはいずれ。