こちら葛飾区水元公園前通信838

tenshinokuma2015-12-25

 今月は、韓国に行ってきました。出張です。
 今度、関わることになった会社の本社があるので、打合せやワークショップなど。3泊4日、観光なしです。
 宿泊したホテルではシャワーが出なかったのですが、そこはいつも通り、銭湯に行きました。ソウルまで行っても銭湯なんて、どんだけ銭湯好きなんだよ、と思われそうですね。
 銭湯というよりはサウナがメインなのかもしれませんが、お湯の入った浴槽もあります。水風呂の方が大きいのがご愛敬ですが。論峴という場所にある銭湯は、地下にありました。夜の9時くらいで、お客が少なくてさびしかったのですが、普通に銭湯でした。
 銭湯以外にも、いろいろと韓国料理を、屋台のおでんから高級焼肉まで楽しませていただきました。
 それにしても、ハングル語はまるでわからないので、困りましたね。覚えなきゃいけないのでしょうか。英語もろくにできないしなあ。それでも、英語で少しだけコミュニケーションしたけど。
 ハングル語は、アンニョン・ハセヨとカムサ・ハルニダしかしゃべれません。

 今月は、どんな本を読んだのか。
 1冊は、study2007著「見捨てられた初期被爆」(岩波書店)。福島第一原発事故放射性物質が飛散したのだけれども、その状況データから、いかにまずい対応がなされ、とりわけ子供の初期被爆が防がれなかったのか、ということを論証した本です。
 特に重要なのは、放射性ヨウ素による内部被爆でしょうか。適切な測定データが提供され、被爆に対する基準がしっかりしていれば、避難することができたということです。しかしそれがなく、たくさんの人が内部被爆した。
 現在でも子供の甲状腺ガンが通常より高い比率で発生しているといいます。
 放射線による被爆については、一般の有毒物質などと異なり、これより少なければ無害ということはない、というのがない、ということになっています。
 本書を読みながら、ぼく自身、思い返すことがあります。事故後、ぼくも友人Aの協力で小学校の校庭で放射線量を測定しました。それで、では生徒を守れたのかどうか。もっときちんとした対応ができたのかもしれない、という気もしています。
 ところで、study2007というペンネームですが、著者は茨城県在住の核物理研究者です。仕事上、加速器などを扱うため、少ないながらも被爆をする仕事です。そして、著者の指導教官をはじめとする研究者にはガンで亡くなった方が少なくないといいます。著者自身も2007年にガンが見つかっています。これがペンネームの由来。そして著者は今年の秋に、他界しています。

 水野和夫著「資本主義の終わりと歴史の危機」(集英社新書)も読みました。昨年の経済書ベスト1だそうです。
 こうした現代の資本主義経済を批判する本がベスト1になるっていうのは、それはそれでまだ日本は救いがあるのかもしれない、とも思います。
 アベノミクスを批判する人は少なくないけれども、本書はそもそもそれを含む世界経済に批判が向けられます。
 時間軸を長くとりましょう。そこでは、資本主義は帝国による蒐集の歴史だったといいます。第二次世界大戦までは、「領土」を蒐集していました。次に、たぶん市場の蒐集ということになるのでしょうか。資本は安い労働力と新たな市場を目指します。
 日本に繁栄の背後には、途上国がありました。でも、途上国が経済成長するには、それにとってかわる別の途上国が必要になります。今、最後の途上国はアフリカということになります。確かに、中国はせっせとアフリカにも投資しています。でも、それは限界があるということです。
 限界がくれば、資本主義は終わることになります。
 現代の資本主義は、領土の代わりにITの世界に新しいフロンティアを見つけました。でも、そのITバブルも限界がきます。
 資本主義にとってかわるしくみは、わからないといいます。それでも、それを見つけるためには、今の資本主義をスローダウンし寿命を延ばすしかない、というのが著者の主張です。
 ぼくは、だいたいについて、同意します。
 ここから、ぼくの見方。
 蒐集の歴史というのは、なかなか当たっていると思いました。今は、「領土」ではなく「情報」を蒐集している時代なのだと思います。ビッグデータ解析なんて、まさにそのまんまですよね。より多くの情報を持つことで、支配的立場に立てる、ということでしょう。
 ただ、もう1つ、考えることがあります。そもそも、資本主義において、貨幣の限界とでもいうのでしょうか。貨幣を使って富の再分配をするには、限界があるということです。生産性が向上すれば、常識的に考えれば、労働時間が少なくなってみんな楽ができるはずです。でも、そうはなっていません。労働時間が少なくなると、報酬を支払うことができなくなります。したがって、新たな労働を作りださなくてはなりません。税は再分配の機能を十分に果たさないどころか、税制そのものが経済活動を阻害するという直接的な理由で、逆進性が放置されていきます。
 水野は税制について、国境を超えた措置が必要だと述べますが、その通りだと思います。一方、ぼくはそれに加えて、ベーシックインカムのようなしくみが必要だとも思います。
 さて、貨幣に限界があるとしたら、ではそれにとって代わるものはなんでしょうか。予想としてあげておきたいのは、今の帝国がせっせと集めている情報ではないか、と思っています。情報そのものが通貨となっていく世界です。それがどんなものなのか、うまくわかりませんが。
 それでも、こんなことがあります。
 マイナンバー制度については、ぼくは必ずしも導入に賛成ではありません。それでも、悪いことばかりではないようです。これは、特定個人情報保護委員の方から直接聞いた話なのですが、マイナンバーはホームレスの人にも交付されるということです。住所がないのに交付されるのはどういうしくみか。仮の住所登録をするということなのです。これによって、ホームレスの人もマイナンバー持つことになれば、福祉の対象として捕捉されることになります。
 これは、富の再分配について、貨幣ではなく情報が機能した、そういった事例なのかもしれません。

 とまあ、そういったわけで、今年最後のこち水になると思います。
 では、皆さま、良いお年を。