100年に一度の不況なら100年の視点でかんがえないと

tenshinokuma2009-02-11

 写真は、先日の江戸川台のパンダみたいなネコの写真。
 同じものではない、はず。

 以下、ちょっと考えたこと。

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 政府紙幣とか無利子国債というのが話題になっている。
 まあ、いろいろ考えるなぁ、と思う。

 結局のところ、景気回復にはお金が必要なのだけれども、それをどうやって調達するのか、ということだけなんだけど、他の先進国と異なり、日本はかなり前から赤字国債を多量に抱えてきたため、そうした行動ができなくなっている、ということだ。
 そのため、手を変え品を変えて借金する、ということになる。 政府紙幣通貨発行権を政府が持つという点で、問題はあるかもしれないけど。

 なぜか、日本は鈍いのだけれども、オバマ大統領の政策というのは、結局は借金をして景気回復させるというものだし、その規模によってアメリカ政府は多額の借金を抱えることになる。そうしないことには、「もたない」ということだ。借金よりもそのことが優先する。
 たぶん、日本も同じはずなのだ。だから、「これ以上借金は増やせない」という発想は転換しなきゃいけない。

 それから、アメリカが保護主義に向かっているという批判が最近になって出ている。たぶん、それは半分はその通りなのだと思う。グローバル化の旗を振ってきたのだから。
 けれども、議論は逆で、結果として保護主義のようなものになっていくはずだ。なぜなら、アメリカ政府の借金はそのままドルの価値を下げることになる。安いドルでは輸入品は相対的に高くなる。だとすれば、国内のものを買うしかない、ということだ。
 もともと、アメリカは消費社会と言われていたが、その消費を少しがまんし、なるべく国内のものを買えば、国内経済はまわる。そういうことになる。

 相対的に高い通貨となる円はどうなのだろうか。輸出企業へのダメージは大きいはずだ。したがって、政策は円安に向かうしかないはずだ。
 結局、どういう形にせよ、政府の借金をふくらませていくことが、よりよい解決ということになっていく。そのことが、内需を拡大し、同時に輸出競争力が減少しないという、一石二鳥の政策になっていく。
 日本は借金にトラウマがあるのだけれども、今はそれを克服しなきゃいけない時期だと思うのだ。

 借金のトラウマというのは、もう一つある。それは、小泉以前の政府が、借金を無駄遣いしてきたということだ。
 自民党議員の地元への利益誘導というのは、いらない道路をつくることだったと思われているが、そのことに象徴されている。必要な、ものをつくるのではなく、献金してくれる団体に必要な仕事をまわしている、ということになる。そして、それ以上のことができないというところに、日本の政治の不幸がある。

 昨年、道路財源をめぐって、与野党の議員にインタビューをしたことがあるが、きちんとはなせば、必要なところにお金をまわすということには賛成してくれる。問題は、では何に使うことが必要なのか、その意見をまとめる人がいないということだ。
 グリーン・ニューデイールといいつつ、掛け声ばかりで中味を本気で考えようとしないというのは、その象徴だと思う。その点、民主党が党大会で「安全と安心のニューディール」ということを打ち出したのは、流行にのらない、自分の国を考えた姿勢として評価していいと思う。

 今、政府に対して求められるのは、借金してもいいから、役に立つことにお金を使うということだ。そして、何に使っていくのかということこと、争点となるはずだ。
 その意味では、民主党も掛け声ばかりでなく、「安全と安心のニューディール」の具体的なプランを、何をするかだけではなく、どういう効果があり、どういう社会になっていくのかを、はっきりと提示することが必要なのだと思う。
 残念なことに、民主党の看板の小沢が、無駄遣いばらまき政策の自民党田中派出身の政治家なのだが。小沢が明確なビジョンを示さなくても、党内にはいろんなプランを考えている、とりわけ若手政治家がいるのだから、もっと使ってやればいいとは思うのだけれども。
 そして、麻生はこのさい、自民党の内部のことは考えずに、ばらまきプランを打ち出してもらいたいとも思う。そうでもしないと、無能なまま、引導を渡されるだけだ。期待しないけど。でも、将来の増税にコミットするべきではなかったし、財源を心配する必要もないんだけれど。

 たぶん、日本に必要なのは、グリーン・ニューディールではなく、シルバー・ニューディールだ。もっと言えば、シリバー・グリーンだ。
 急速な高齢化社会に対し、介護が必要となっているはずなのに、人手が足りない。理由は簡単で、賃金が安いからだ。なぜ安いのか。それは非正規雇用を前提に制度設計されているからだ。
 あまり誰も指摘しないのだけれど、派遣労働に対する批判が強まっている一方で、実は政府そのものが非正規雇用を前提とした福祉事業の制度設計をしてしまったということは、ものすごく重要な問題だと思う。
 介護保険の財源がない、と言えばそれまでなのだけれど(実際には、黒字なのに)、でも、そのお金がないということが、そもそもは、生産性の低い、波及効果のないところにお金は出せないということではないのか。介護をしても、何も輸出できないということだ。輸出依存の経済体質の中では、こうなってしまう。
 でも、それは正しいのだろうか?

 介護という文脈で考えると、別に人手だけの問題じゃない。最近、コンパクトシティという概念が出ているが、実はとりわけ地方のまちづくりをもう一度やりなおさなきゃいけない時期に来ていると感じている。自動車社会が郊外型ショッピングモールを普及させ、高齢者しか商店街にやってこない、そういう疲弊した地方都市は少なくない。
 けれども、高齢化が進んだこと、そして自動車社会が終わりに向かっていることを考えると、もういちどまちづくり、ということになる。病院、老人ホーム、高齢者専用賃貸住宅、商店街、学校、図書館、ホテル、こうしたものがコンパクトにまとまっていれば、自動車がなくても買物などに行きやすいし、公共交通機関でこれを補うことができる。さらに、エネルギーの点でも効率化がはかれるはずだ。こうした中に、十分な報酬が約束された正規雇用の介護労働者がいればいいと思う。
 こうしたことが、シルバー・ニューディールなのだ。

 シルバー・ニューディールのもう一つの重要な点は、高齢者に対して安心を与えることだ。膨大な金融資産が有効活用されていないが、それは高齢者が将来に安心を感じていないからだ。だから、安心と引き換えに、再生可能エネルギーなどに投資してもらえればいいと思う。

 輸出ということでは、コンパクトシティという概念がある。日本が特別に高齢化が急速なわけではない。実は、他のアジア諸国は日本以上に急速に進んでいくと予測されている。近くでは、韓国の特殊出生率が日本より低いということがある。中国も数十年後には人口が減少に向かう。一人っ子政策によって、どう考えても若者より老人が多くなるのだから。

 別に、シルバー・ニューディールである必要はないけれども、でも、持続可能な社会をつくるための投資が必要だということはまちがいない。

 内需拡大、輸出依存経済の脱却ということを、もう少し考えてみたい。

 内需拡大というのは、ニューディール政策を通じてクリアされていくと思う。
 次に、輸出依存経済の脱却だ。

 先に書いたように、アメリカは保護主義を強めようとしなくても、ドル安は結果として保護主義と同じ効果を持つ。とすれば、そもそも、輸出企業は円高によってアメリカという市場を失うということは覚悟しなくてはいけない。
 これは、ある大学の教授に聞いた話だが、トヨタ自動車の利益の大半は、アメリカ市場でのレクサスの販売で稼いでいたという。それがなくなっただけで、大幅な赤字になってしまったわけだ。

 円高がすべて悪いとは思わない。輸入品が安くなるという恩恵はある。ぼくも最近は、ネットを通じてCDを海外から買うことが楽になったと感じている。
 けれども、全体としては悪い面が多いと思う。というのは、基本的にたくさんの人が豊かではないからだ。消費をがまんして働かなきゃいけないから、円高になってしまう、と言ったらいいすぎだろうか。
 輸出産業が苦しいというのはその通りだ。そして、輸入した方が安いのでは、国内産業は育たない。それを保護主義というのなら、その通りだ。だが、例えば農業はどうすればいいのか。
 食糧自給率を上げようというかけごえはいい。でも、じゃあ、国内産の原料のものだけを買えばいいのか。そこに第一に保護主義という批判がある。そして経済に余裕のない多数にそれを強要はできない。
 食糧安全保障ということを考えたら、そのためのコストというものは支払われるはずだ。それをどのように考えれば良いのか。

 裁定ということがある。A国で100円のものがB国で200円だったら、A国で買ってB国で売れば儲かる。
 でも、このロジックの落とし穴に、そろそろ気付くべきなのだ。
 グローバリゼーションには、いくつもの問題がある。
 もっともわかりやすいのは、フードマイレージに代表される、輸送コストの問題だろう。このことが、エネルギーの無駄遣いにつながっている。エネルギーが安いから成り立っているが、今後はそうはいかない。
 だが、労働力の問題は、より直面する大きな問題だ。なぜなら、グローバリゼーションといっても、資本と労働力では移動のしやすさがあまりに違いすぎるからだ。
 資本と労働力の輸送コストの違いを考えてみればわかる、ということだ。

 北野一の「グローバリゼーションでなぜ豊かになれないのか」という本がある。資本がグローバル化したため、株価あたりの利益を国際的な市場で競争させなくてはいけないから、しわ寄せが労働者に行く、ということだ。
 では、逆に、賃金がグローバル化しているので、企業はどこの国でも相応の賃金を支払わないと雇用できないのか、ということはあるだろうか。ないだろう。
 資本と労働力は、対称な関係にないということなのだ。
 北野はこの本の中で、企業の資本戦略と経済のデカップリングを提案する。別に、海外投資家が株式を買わなくても、円ベースできちんと配当できればいい、という考えに立つということだ。

 今更指摘するまでもないことだが、バブル崩壊以降の日本経済の回復は、非正規雇用によるところが大きい。労働分配率を下げることで、輸出依存産業が復活した。その利益は、株主には還元されている。
 だが、それは何のことはない、たくさんの人を犠牲にして成立している景気回復なのだから。かつての宗教団体が信者をただ働きさせて利益を得ていたことと、どうちがうのだろうか。
 その意味では、本来であれば、企業は不等に支払っていなかったコストを支払うべきなのだ。
 とはいえ、派遣切りをした企業にも3分の言い訳はあるだろう。そうしたコスト削減なしには、市場における競争に勝てなかった、という。

 そう考えると、労働市場に対する規制緩和は、まさに市場の失敗なのだ。
 そうであるとするならば、規制緩和した政府がその責任をとるべきである。
 ぼくは環境ジャーナリストなので、環境の話になってしまうのだけれども、地球温暖化などの環境問題は同じように市場の失敗で説明できる。企業は規制の範囲内でやらないと競争できないので、政府は環境が保護されるような規制をするか、あるいは環境を保護するためのコストを内部化するしくみが必要である。
 政府は労働市場に対し、規制を緩和してしまったし、そのためのコストを内部化させるしくみを用意しなかった。その点につきるだろう。

 製造業派遣廃止、ということが言われている。一方で、多様な働き方があってもいいという意見もある。
 あるいは登録型派遣の禁止など。

 まず、最優先は登録型派遣の原則的な禁止だと思う。派遣労働者は企業にとって必要なときに必要な人材を調達できる手段なので、やはり必要だとは思う。
 だが、派遣されるのは、原則として派遣会社の社員であるべきだ。とりわけ、一時的に高いスキルを持った人が必要なときというのはある。
 派遣会社の社員という身分保障は不可欠だということも押さえておきたい。

 派遣会社にとって、社員として雇用するのはリスクが伴う。だが、派遣会社は企業として、この市場に参加しているわけだから、優秀な社員を集めないと生き残れないだろうし、そのためには相応の賃金を支払わなくてはならない。
 こうしたことは、派遣を受け入れる側の企業にとって、派遣労働者を活用することが、必ずしも安くないというメッセージにもなる。
 こうしたことが、派遣労働のコストをきちんと負担させるしくみになっていくと思う。

 製造業派遣禁止ということだが、そもそも正規雇用を促進させるしくみが不可欠だろう。違法な雇用、労働者の権利が守られない雇用に対しては、警告していくしくみが必要だし、罰則も必要だ。同一労働、同一賃金の徹底も必要だし、その賃金という中には、賞与や退職金、将来の保証なども含まれる。期間雇用に対しては、プレミアムを与えることも制度化してもいいかもしれない。

 もう一つ、重要なことは、労働環境の見える化である。
 派遣労働に関連して批判をあびているキヤノントヨタ自動車だが、一方で環境に積極的に取り組む企業であるという評価を受けていることも見逃してはならない。
 環境への取組みもいいけれども、雇用への取組みももっと注目するべきだし、させるべきだ。
 環境報告書と同じように労働報告書を作成し、その企業の従業員がどれほど充実したワークライフバランスを実現しているのか、賃金や休暇はどうなのか、そういったことを示すべきだ。賃金だけを公開したら、「この会社の社員はもらいすぎ」という批判をはびるということもありそうだが、だとすれば労働分配率でもいい。
 また、そうしたことがわかるように、ISO14001という規格があるように、ISO16001という規格もつくって、適正な賃金、適正な労働環境で仕事が行なわれているということを示すべきだ。

 実は、このことは、労働のグローバル化ということでも重要である。
 賃金が高いと生産拠点が海外に移動してしまう、という議論はある。
 だが、移動先の賃金が正当なものなのかどうか、という議論はあまりされない。
 これはあくまで推測だが、先進国と途上国の賃金は為替レート以上のひらきがあると見ている。
 こういうことだ。A国では週休2日なので、B国では週休1日で働いているとしたら、購買力平価で見たら、B国の労働者の方がたくさん賃金をもらっていなくてはいけない。だが、実際にはどうなのだろうか。
 A国とB国で法定労働時間が違ってしまえば、その差は為替レートだけではなくなってしまう。
 こうしたことを見える化するというのが、労働環境の規格化だ。
 消費者が、労働環境の基準についてグローバルに見えるようになれば、大きく変わっていくと思う。

 たぶん、エネルギーも労働力も、グローバリゼーションという掛け声に反して、不等に安いコストしか支払われてこなかったのだと思う。
 この2つ以外にも、支払われてこなかったコストはまだまだあるだろう。
 こうしたとき、きちんとコストを支払おうとしたら、グローバリゼーションにはブレーキがかかってしまうと思う。
 だが、それでいいと思うのだ。

 正しいのは、グローバリゼーションではなく、みんなが幸せになることなのだから。
 アメリカ人が、アメリカで製造した自動車に乗る方が幸せなのだとしたら、それでいいと思う。選択肢はあったほうがいい。ぼくだって、日本酒は飲むけれども、フランスやイタリアや、あるいはその他の国のワインだって飲みたいと思う。
 でも、そのコストはきちんと支払わないといけないということだ。

 ドル安が正しいのは、それがドルの適正な価値だからなのだと思う。さんざん消費社会を謳歌してきたけれども、もうそんなことは通用しない。自分たちが生産できるだけしか消費できないというあたりまえのことに向かっているとおもうし、だからオバマ大統領はそうした社会に向けて一緒にやっていこうと訴えているのだと思う。
 たぶん、円高は正しくない。とはいえ、ドルと円の関係はどこが正しいのかはわからない。
 相対的に、途上国の通貨がもっと高くなるべきなのだと思う。そうした為替レートで、先進国はきちんと途上国にお金を落とし、経済を発展させ、できれば内需拡大を支援していく、ということだろう。
 食糧よりもコーヒーが儲かるから、国民が飢えていてもコーヒーをつくる、というような農業はやめるべきなのだ。

 とまあ、そういうことを考えながら、世界的な経済危機の中でどうやって乗り切っていくか、考えなくてはいけない。
 どうでもいいけれど、近視眼的なさまざまな新聞の社説、「アメリカは保護主義に戻るな」「景気対策もいいが財政赤字も考えよ」「日本も世界経済の中で何をできるか考えよ」といった議論はどうなのか、と思う。
 赤字は、ゆるやかなインフレタックスで返済していくしかないと思う。もちろん、通貨の価値を守ることが中央銀行の役割だということは知っている。けれども、好景気はインフレをもたらすというのであれば、そう考えた方が合理的だ。

 100年に1度の世界的な危機、なのではない。そう言うのであれば、今こそ、100年ぐらいのタイムスケールでいろいろなことを考えるべきなのだ。